010


[クラクフ駅]


[チケット]


[帰国の途]

T:「ワルシャワに行きたいんだけど...。」
クラクフ三日目。前日無計画に歩き回っていた彼は、この日気に入った場所と見落としていた場所をぶらぶらと見て回り、昼過ぎに駅に来ていた。予定通り(?)ワルシャワへ向かうため、いつものように時刻表をもらおうとしていたが、この日の窓口のおばさんはプリントアウトしてくれず、モニタをくるっと回して彼に見せただけだった。その画面には普通列車と急行が表示されていた。出発時刻は普通列車のが早いが、到着時刻は急行のが早い。特に急ぐ気もなく、ワルシャワでもう一度見たいところも無い彼は、財布の中を覗き込んだ末、値段の安い普通列車を選んで切符を買った。旅も終わりに近付くと現地通貨を残さないようにするため気を使うものだ。
T:(......。)
4人がけのベンチシートが向かい合ったボックスには、学生風の女の子と、尼さん風の女性と、まだろくに言葉も喋れない子供とその母親がいた。子供は機嫌よく愛想を振りまいていたため、すっかり人気者となっており、和気あいあいとした雰囲気で満ちあふれていた。そんなところへ現れた東洋人に、皆警戒しているのか、はたまた興味があるのか、よく分からない空気がただよう。英語はわからないし、かといってこの東洋人がポーランド語が話せるとは思えず、いかんともしがたい。この東洋人にしても、唯一英語のわかりそうな学生風の女の子に目を付けたものの、じっと本に目を落としているのでタイミングがつかめないでいた。そんな時、子供が東洋人の存在に気付き、初めて遭遇する生き物を見るように凝視していた。
子供:「ぱぱ...。」
T:(!)
なにかひらめいたかのようにこう呟く子供。びっくりする東洋人に、母親も驚いた顔をして視線を向ける。尼さん風の女が振り返って視線を向ける。学生風の女の子が本から目を上げて視線を向ける。しばしの沈黙の後、もう耐えきれないといった感じで笑いがこぼれだす。一緒になって笑う東洋人を見て皆安心したのか、ボックス内は再び和やかな雰囲気を取り戻して行く。ウケたことに気をよくした子供は、その後しばらくその言葉を繰り返していた。そのクリクリとした悪戯っぽい瞳は透き通るような青緑色で、間違っても東洋人の血は一滴たりとも混ざっていないのだった...。
T:(!?)
ボックス内はワルシャワに近付くにつれてだんだんと人が入れ替わり、増えて行く。スーツをきちんと着た男女が乗って来て、男は東洋人の隣に、女はその向かい側に座った。二人とも20代前半といったところか。東洋人は女に席を変わろうかと聞いたが、女は「気にしないでいいわ」といった感じで首を横に振った。少しして女の隣にいた男の子が、男に席を変わろうかと聞くと、男はうなずいて女の隣に腰を下ろした。その途端、女は男の腕にしがみつくようにしてニコニコしている。わけ分からんといった気分の東洋人。
T:(しっかし、この男も動じないねぇ...。)
男はやたらと分厚い本を読んでいるのだが、女はかまってほしくてほしくてしようがない。おかまいなしに話しかける女だったが、男は読書をやめようとしない。不満そうな女がなにやら男に言うと、男は読書を中断して頭上の棚の鞄からものを取り出して女に手渡す。腰を下ろして本に目をやったところで、再び女は男になにやら言う。男は立ち上がってさっき取り出したものを鞄に戻す。そんなこんなの攻防戦が目の前で繰り広げられて、退屈しない東洋人。電車はワルシャワ中央駅に滑り込んで行く。
T:(買い物ゲーム!)
彼は残った現地通貨を駅で使いきってしまおうと考えていた。翌朝帰国する彼にとって必要なお金は、この日の宿泊代(朝食付き)と空港への交通費と生きるための水で、残りが夕食代ということになる。空港へはバスで行くとして、まずキオスクにてバスチケットと水を購入。次に宿泊費だが最初に泊まった中級ホテルに行こうと決めていたので、金額は分かっていた。彼にとっては少々贅沢なホテルだったが、これから探すのも億劫だったのだろう。予約をしているわけではないので、部屋が空いているかどうかはわからないのだが、彼は当然泊まれるものと思っていた。財布の中身を確認すると、実に中途半端に残っており、宿泊費を除くと残りわずか。宿泊費をカード払いにしてしまうと、夕食には使いきれない程余ってしまうので、何か残りで買える食べ物はないかと売店をうろうろする。あきらめてATMで少しおろすかと思いはじめたころ、閉店近い売店で安売り状態になった大きめのバゲットサンドを発見し飛びつく。これでほぼ無一文状態になり、満足してホテルに向かう。
T:(もっとましなもん食えたな...。)
彼のまったく根拠のない自信通り部屋は空いていたが、聞けば宿泊費が前回より大分安い。彼は部屋に入って、備え付けの宿泊費一覧に目を通す。前回泊まったフロアにはなんと「スイート」の文字が。前回は夜遅くに着いたのでそこしか空いていなかったのか。部屋をざっと見回した限りでは何ら造りに変わりはなく、ただフロアが上か下かの違いだけのようだった。彼は余ってしまったお金を眺めながらバゲットサンドを頬張る。

翌朝、彼は空港の免税店で再び買い物ゲームをして、帰国の途についたのだった...。


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