002


[ホテル]


[部屋]

「1889年建造、20世紀初頭アールヌーボー様式に改築」
「シャワー、トイレ共同ならぐっと安く泊まれる」
こんな言葉に彼の目が止まった。値段まずまず、立地条件よし。
早朝のプラハ本駅で、彼はガイドブックをぱらぱらめくっていた。ワルシャワから夜行列車に乗って到着したところで、くわえたタバコの煙がまだ眠い目にしみる。現地通貨を入手する前に、だいたいの物価を把握するのもかねて、ここプラハでの宿泊先を探していた。そんなもの前もって調べておけと言いたいところだが、彼はいつもいいかげんで、行き当たりばったりで、思いつきにまかせていた。彼の宿泊先選びから超高級、高級ホテルは自動的に省かれる。中級ホテル以下で、値段、立地条件が重要視されるが、ときどき「おもしろそう」というのが決め手になる。
T:「これかな...。」
プラハ一番の繁華街と言われるヴァーツラフ広場に面した建物の中でも、そのホテルの外観は目立っていて彼にもすぐに見つけることができた。グランドフロアはカフェになっていて、その横の扉をあけると程よくくたびれた雰囲気がただよっている。カウンターの中にいたおばちゃんに空室と値段を聞くと、プライスリストを指し示す。その指先には、ガイドブックに記述されていたものよりも少しだけ多めの数字が並んでいた。暗くなってから到着すると多少高くても即決してしまう無精者だが、まだ朝ということで時間的余裕のある彼はとりあえず値段交渉を試みる。が、このおばちゃんに値下げする権限はないようで、事務的に首を横に振るだけだった。しばし考え込む彼。
おじちゃん:「一人か?何泊する?」
どこからともなく彼の横に現れたおじちゃんが顔を覗き込みながら聞いてきた。どこかで、おばちゃんとのやり取りの様子を見ていたらしい。とりあえず2泊、もしかしたら3泊と彼が答えると、おじちゃんはいきなり半額を提示(ただし朝食無し)。おじちゃんはこれから駅に客を捕まえに行くらしく時間がなかったのだろう。おそらくどこかからの電車の到着時間が近付いていたのだと思われる。その間に部屋を見ておいて気に入ったら帰ってくるまで待ってろと言い残してそそくさと出て行った。偶然のタイミングによってさらに「ぐっとお安く」なってしまった。もう部屋なんか見なくたって決めますといった気分の彼だったが、「なんかわけあり?」ということで、おばちゃんから鍵を受け取って一応チェックしに行く。
T:「あれっ!?」
2階の奥にその部屋はあった。外観に比べて味も素っ気も無くつまらない部屋に少々がっかりする。家具類も必要最小限で質素な感じで、高い天井が少々空しい。だからといってひどい部屋というわけではないし、「ぐっとお安い部屋」なので文句も言えまい。共同シャワーとトイレもチェックするが、こちらはかなり使いやすそう。共同シャワーの善し悪しはお湯がちゃんと出るとか、水圧が程良いとかあるものの、脱衣のしやすさを彼は結構重要視する。彼はたとえシャワーを浴びるだけの時間でも部屋に貴重品は置かない。フロントのセイフティボックスに預けるなんてもっての他だ。これは従業員でさえ信用できないようなところに泊まってきた彼の習慣となってしまっている。よってシャワーを浴びているときでも目が届き、かつ濡れないところに衣類、貴重品を置いておけるかどうかというのを見る。そんな彼の基準からしてもかなりの高得点だった。
おじちゃん:「...派手な格好をした女の子が...。」
T:「!?...。」
おじちゃん:「...俺のビジネスではなくて...。」
T:「???...。」
戻ってきたおじちゃんにいろいろと説明を受ける彼。どうやらこのおじちゃんはこのホテルを仕切っているようだ。おじちゃんの書いた領収書にはトラベルエージェンシーの印が押してあったので、集客を委託されているのかもしれなかった。気さくだがせわしなくしゃべりまくる。英語の不自由な彼はふんふんとうなづいてはいるもののすべての言葉を拾っているわけではない。大筋は把握しているものの最後のほうの部分が聞き取れないでいた。が、そんなことはもうどうでもよかった。
おじちゃん:「また、何か分からないことがあったら聞いてくれ。」
大分得した気分の彼は、2階のレストランで朝食をいただくことにした。パン、ハム、サラミ、ソーセージ、チーズといったものを皿一杯に盛り付けて窓際に席をとり、ヴァーツラフ広場を眺めながらそれを口に放り込んで行く。お腹の落ち着いた彼は、2杯目のコーヒーを飲みながら、再びガイドブックを開き、かなりのページ数を割り当てられたプラハの街をどう見てまわろうか考えていた。だから、そんなもの前もって調べておけって...。

つづく...。


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