004


[ビールの看板]


[ホラショヴィツェ]


[バス停]

T:「ゴーストタウン...?」
プラハも三日目になった日曜日の夕方、彼は次の街へと移動するために南下する列車に乗り込んだ。彼の大雑把な計画では、次はチェスキー・クロムロフを目指すはずだったが、翌日の月曜日はチェスキー・クロムロフ城が休みという情報を得て、その手前のビールが有名な街、チェスケー・ブディェヨヴィツェで一日時間を潰すことにした。夜到着して駅前のホテルに荷物を放り込み、彼は食事をとりに出たが、旧市街へと向かう商店街は既にほとんどの店が閉まっていて人影もまばらだ。この時期になると欧州は結構遅い時間まで明るいだけに、かえって無気味な町並みに見える。ワルシャワ、プラハと見てきた後の彼にはなおさらだ。
T:「バスの時間が知りたいんだけど。」
翌朝、彼はとりあえず街に出て旧市街をぶらぶらしてみた。アメリカの某ビールはこの街のビールに由来しているとかで、街のあちこちで見られる看板は一目でそれとわかるものだった。が、酒の飲めない彼にとってはビールの醸造所等は興味のないもので、昼には既に時間をもてあましていた。公園で一服しながら、子供達の屋外英会話レッスンにしばらく耳を傾けていたが、それにも飽きた彼は、バスで30分のところにあるという世界遺産の村ホラショヴィツェを見に行こうと、プジェミスル・オタカル2世広場にあるツーリストインフォメーションで行き方を聞いていた。こうして彼のいいかげんな旅は、寄り道に寄り道を重ねて行く...。
T:「帰りのバスは?」
学生ボランティアらしき男の子から往復のバスの時間を聞いた彼は、駅前のターミナルからバスに乗り込む。バスはとことことのどかな田舎道を走り出し、小さな集落をつないで行く。途中で下校する子供達が乗り込んでくると、バスの中は一気に賑やかになった。大人しそうな女の子の背負った鞄の上にやんちゃそうな男の子が噛んだガムをのせてあーだこーだ。隣にいた少し年上らしいお姉さんがそのまた友達のパスケースをとりあげ、それでガムを叩き落としてまたあーだこーだ。そんな子供達が一人また一人と下りて行った後、ほどなくバスはホラショヴィツェに到着した。彼と一緒におりたのは日本人らしい老夫婦だけだった。
「絵はがき買わないか?」
そこは小さな池のある芝の広場を囲むように素朴な家が立ち並ぶ村で、ゆっくり歩いても10分位で見てまわれる。バス停の裏にあるツーリンストインフォメーションもレストランもこのときは閉まっていた。人影はほとんどなく、時折車が村を通り抜けて行く。一軒の家からおじいさんが絵はがきを持って出てきたのが、唯一観光地らしい出来事だったかもしれない。彼は絵はがきにも負けないような晴天のもと、贅沢な気分に浸っていた。
「わざわざ来て、これだけですか?」
一回りして戻って来た彼にそう話かけるのは老夫婦の奥さんのほうだった。奥さんはバスをおりてすぐにベンチに座り込んだまま動こうとしない。一方旦那さんの方はうろうろと写真を撮りながら歩き回っている。聞けば旦那さんが定年退職してから、自分達で計画して旅に出るようになったとか。今回は既に日本を出て3か月たっていると言う。なんだかせわしなく動き回る旦那さんに対し、おっとりした感じの奥さんがニコニコとそれを見守っているという感じだ。旦那さんは、「こちとら年金生活者で金は持ってないんだ」と、よく分からないことを言う。
「バス来ないね?」
ろくに時間を潰す場所も無く、彼等は広場にある木陰のベンチで話し込んでいた。前もって聞いてあった帰りのバスの時間もとうに過ぎている。一台のバスが止まったが行き先の違うもので、とうとう旦那さんがしびれを切らした。バス停の時刻表ではもう2本来ることになっているようだった。これが両方とも来なかったらどうにかしようというのんびりとした彼と、何も考えていないような顔をして相変わらずニコニコとした奥さんは、ベンチに座ったまま落ち着きなくウロウロとしだした旦那さんの姿を見守っていた。と、通りかかった一台の車を強引に止めて何やら交渉をはじめた。
「チェスケー・ブディェヨヴィツェまで乗せてって欲しいんだ。」
思いっきり日本語で交渉する旦那さんを見て、仕方なく彼は腰を上げる。相手もまったく英語がしゃべれない男だったが、なんとかお願いを伝えることに成功したらしい。男は30分から1時間ほどしたらもう一度ここを通るのでその時に乗せってってくれると、大きな身ぶり手ぶりで言い残して走り去って行った。旦那さんはそれからも居ても立ってもいられないといった様子で、もしバスが来ちゃったらそれに乗っちゃおうなどと言いながら貧乏ゆすりが続いていた。はたして30分が過ぎたが、バスも車もやってこない。旦那さんのいらいらは絶頂に達する...。
旦那さん:「あの男だましやがったな。」
T:「30分から1時間位って言ってましたから、もうすぐ来ますよ。」
何の根拠も無いことを言って旦那さんをなだめる彼と、その横でやっぱりニコニコしている奥さんがいた。そうこうするうちに男の車が約束通りやってきて、彼等3人を乗せて走り出した。旦那さんはホッとしたのか、途端に上機嫌になる。ハンドルを握る男は途中車を止めて地図を開くなど、少々頼りないところもあったが、悪い男ではないようだった。会話はほとんど成り立たないのだが、男がなにやら言いながら指差す方向に目を凝らすと、遠くにフルボカー城が見えた。
T:「ジェクユヴァーム。」
無事チェスケー・ブディェヨヴィツェに到着。唯一覚えたチェコ語でありがとうと伝えると、男はにっこり笑って手を振りながら走り去って行った。老夫婦はこの夜予約してあるというホテルへ向かうために地図を広げていた。彼は昨夜泊まった駅前のホテルに預けてある荷物をピックアップして、そのままバスでチェスキー・クロムロフへ向かうのだった...。

[Prev] [Up] [Next]