005


[朝焼けに染まる大神殿]


[小神殿]

T:(なんだなんだ、この顔ぶれは...)
翌朝アブシンベル行きの飛行機に乗っていた。ただでさえ便数が少ないと思われるアスワンの空港から、閑散とした早朝に飛び立ったその5,60人乗りの飛行機の座席は観光客でうめ尽くされていた。その多くは年輩の品のよい白人の方々の団体で、その隙間を埋めるように俺のような個人旅行者が居心地悪そうに座っていた。なんでこんな人達が俺なんかと一緒に...。現地での移動では滅多にお目にかかることはないのだが、交通手段がこれしかないのだから、それがあたりまえであることに気付くには、そんなに時間はかからなかった。

外はまだ暗かった。離陸後しばらくしてナッツとドリンクが配られ、それらのゴミが回収されたころにやっと明るくなってきた。アブシンベルの空港に降り立つと、神殿への送迎バスが待ち構えていて、それに乗り込み10分程で神殿に着く。チケットを買い、団体さん達を差し置いて足早に進むと左手に小高い岩山があり、それを回り込むように進むと大神殿の入り口が見えた。そこには4体のラムセス2世の巨大な座像が、ナセル湖の向こうに昇りかけている朝日を眺めるように腰を落ち着かせていた。

T:「おーっ!」
思わず口からこぼれる。中に入るのはとりあえず後回しにして、ラムセス2世像と向き合うように座ってしばらく眺めることにした。携帯灰皿とタバコを取り出す...。アスワンでのオマーンの言い値は、カイロのモハメッドのそれよりも幾分安かった。それでも高いとは思ったが飛行機の手配をお願いすることにしたのだ。彼はポッケから携帯電話を取り出し、その場で俺のチケットを押さえてくれたのだが、それに値するものが目にできるかどうか少々不安があった。しかし、その不安はここで一気に解消されてしまった。雲ひつない晴れ渡った空と朝焼けに紅く染まった巨像は、俺がテレビや写真を見て想い描いていたアブシンベル大神殿そのものだったのだ。

情報の溢れる現代においてテレビでも本や雑誌でもネット上でも、たいていのものは映像や写真を見ることができる。そうそう見れないものはないだろう。にもかかわらず高いお金を払って飛行機や電車を乗り継ぎ、数十時間もかけてはるばる出かけて行くのは、ひとえに肉眼で見たいという欲求を満たすためにすぎない。そこには映像や写真では分からないフレームの外の風景や、気温、湿度、臭いなどを感じることができる。その後に再びそれらの映像や写真を目にしたときには、そのとき感じたものを思い起こすことができるし、そのときあった出来事や出会った人を思い出すこともできる。肉眼で見たいという想いにはそういったことも含まれるのだ。

そうは言ったものの、想い描いていたとおりのものを目にすることができるかというと、必ずしもそうではない。悪天候にみまわれたり、修復工事中に出くわしてしまったりと、少々残念な結果になることも少なくない。その程度ならまだしも、苦労して辿り着いたにも関わらずガックリなんてこともある。それでもまた懲りずにのこのこ出かけて行くのは、そこに辿り着くまでの過程での出来事や出会いが楽しみの大半を占めるからだし、思い描いたとおりのものやそれ以上のものを目にすることがあるからだと思う。目の前にあるアブシンベル神殿はそれに値するものだった。こうしてまた、どこかへ出かけようという活力になるのだが、この時は次の行き先の心配などしているはずもなかった。

T:「さてと...」
腰をあげる。だんだん日も高くなってきたし、そろそろ中を見よう...。

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