Asia (Part1)


10/Jul/1999(Sat) - 11/Jul/1999(Sun) Efes:Turkey

"chin chin"
早朝にSamos島に着いて、そのままフェリーを乗継ぎKusadasへ着いた。Turkeyだ。そこから乗り合いタクシーに乗ってSelcukへ。Efesとは古代都市の名前でそこには街はなく、Efesから2Kmはなれた街がSelcukだ。ここに2,000,000TL(600円)でシングルルームをとった。
ぶらぶらと観光をしてJohannes Kilisesi(聖ヨハネ教会)の前を通りかかると、城壁の上からこっちへ来いと手を振っている。行ってみればそこでは宴会が行われていた。そのなかにはAustralia人二人、Poland人三人もいた。Turkey人はもう入れ代わり立ち変わりでワインを持ってきたり、果物や野菜を持って来たり...。酒の飲めない俺はワインをなめる程度。親分のようなTurkey人のおじさんが「chin chin」と言ってグラスを突き出し乾杯をしようとする。「日本ではこう言うんだろう?」。少なくとも俺の使っている日本語ではそんなことはなかった。誰かが嘘を教えたのか、はたまたどこかローカルなところでは本当にこう言うのか...。
とりあえず「乾杯」というのを教えて、「chin chin」は使わないほうがよいと言っておいた。

<- 一番左が親分。


11/Jul/1999(Sun) - 12/Jul/1999(Mon) Pamukkale:Turkey

夜行バスで到着すると、客引き10人くらいに囲まれてしまった。前の街で紹介してもらっておいた宿のおやじを見付けて値段交渉。前の街で泊まった宿のオーナーと友達ということで1,500,000TL(450円)でバス/トイレ付きのシングルルームが与えられた。宿代最安値を更新。
ここは石灰を多く含む温泉が湧出ており、段々畑のように石灰が固まっていてプールのようになっているのが有名。しか〜し!!!来てみてがっかり。近年高級ホテルの開発がすすみ、温泉がホテルにとられてしまっているとのこと。肝心のところには部分的にしか流していない。これでは観光客減っちゃうぞ。
それでもうろうろしていると、温泉がたっぷりと流されている場所を見付けた。観光ツアーの人たちが来ないところで、人もまばら。夕日に赤く染まる白い段々畑を見た。これで我慢してやろう。

<- 我慢する気になった夕日。


13/Jul/1999(Tue) - 16/Jul/1999(Fri) Cappadocia:Turkey

"TESEKUR EDERIM" (THANK YOU)
Cappadociaとは大奇岩地帯のことであり、その中にはいくつかの町や村がある。俺はGoremeという村で岩窟をそのまま部屋にした見晴しのいい宿を2,000,000TL(600円)でとった。客は俺ともう一人だけ。
今Turkeyの子供は夏休み。宿のオーナーの息子と、その友達が働いていた。彼等の名前はAhmetとKursatと言う。彼等は二人とも15歳だ。夜俺は宿のテラスでぽつぽつと明かりがともる村の夜景を見ていた。オーナーがどこかへ出かけて行くと、突然Kursatが俺にタバコをくれる。すかさず英語を少しだけしゃべれるAhmetが「おやじには内緒だぞ」と言って来た。なんともかわいいものだ。その後はいろいろしゃべったり、Turkey語を教えてもらったり、Turkeyの楽器Sazの弾き方を教えてもらったりした。彼等はチャイ(お茶)やひまわりの種を持って来てくれる。
すっかり仲良くなって、俺が宿に戻ると部屋に遊びに来てタバコを吸わせてくれと言う。そしてタバコを吸いながらTurkey語を教えてもらう。チェックアウトのときに彼等から教えてもらったTurkey語を使って「Tesekur Ederim. Gule Gule.」(Thank you. Bye bye.)と言うととても喜んでくれた。

<- Ahmet(左)とKursat(右)。


16/Jul/1999(Fri) - 18/Jul/1999(Sun) Ankara:Turkey

久しぶりに都会に来たと言った感じだ。
旧市街にあるAnkara城を見に行った。ここは他と違って、都会という雰囲気はまるでなく、庶民が生活している。
Ankara城は丘の上にあって、展望台がある。そこからAnkaraの街を見ていると、チャイ屋の小憎が寄って来て「チャイ飲まね〜か?」と言う。「いらね〜」とか言うとそいつは鼻くそをほじくって俺の膝になすりつけた。このガキ!!!
しばらくすると公園で遊んでいた女の子二人が興味津々に寄って来た。一人は英語が結構話せる。なんだかんだ話しているうちに公園で遊んでいた子供がどんどん集まってくる。写真を撮ってあげると言うと、あたふたと全員整列。撮り終わると、送ってくれと住所を書いてくれた。しかし到底解読できるような綺麗な文字ではないので、送ってあげられそうもない。残念だ。
ちなみにその写真の中にはチャイ屋の小憎もちゃっかり入っている。

<- 一番左でそっぽ向いてるのがチャイ屋の小憎。


18/Jul/1999(Sun) Safranbolu:Turkey

"I don't like TURKEY"
別にTurkeyが嫌いという話ではない。
ここSafranboluの旧市街は山間にある小さな村で、古きよきTurkeyの町並みが残っていることで有名。丘の上の公園からの眺めは最高だった。夕暮れ時に山間のむらにCamiiからAzarnがひびきわたる。
そんなところで一人浸っていたかというとそうでもない。やっぱりTurkey人はほっといてくれないのだ。ファンタを勧めてくれる女の子がいたり、1グループ去ればまた1グループが寄って来る。
最後に話した高校生二人組は英語の学校に通っているだけあって俺よりも英語が堪能。この二人とは結構話せた。何故なら他の人たちは英語が全然しゃべれないから会話が続かなかったのだ。この街のこと、Turkeyのこと、イスラムのこと、日本のこと...。その会話の中で、俺が「Turkey」というと彼等はそれを嫌がった。「Turkey」は「Chicken」みたいで嫌だと言うのだ。「Turkye」と発音してほしいとか。
すっかり暗くなるまで話したので一緒に新市街まで歩いて帰った。お別れの時、彼等はDundolmaと言うお餅のように伸びるTurkeyのアイスクリームを俺におごってくれた。公園での会話で俺がまだ食べていないと言ったのを覚えていてくれたのだ。

<- 丘の上の公園から。


19/Jul/1999(Mon) - 28/Jul/1999(Wed) Istanbul:Turkey

IndiaのVisa取得ですっかり長居してしまった。5日もあれば取れると思っていたのが、到着してすぐに申請にいくと7〜10日かかると言われ、多少いらついていた。
しかし、ことが思い通りにいかない時には思わぬ副産物があるものだ。7/24にサッカーの試合があることを知り、見ることができた。Fenerbahce vs GalatasarayというTurkeyでは最高とも言える好ゲームだ。何やらカップ戦の決勝とかで、ホーム&アウェイの2試合目。つまり優勝がかかった試合だ。
よく分からずにチケットを買うと思いっきりサポーター席。警備の警官が信じられない程いた。開始前には早速手錠をかけられて連れて行かれるサポーターが...。日本ともEnglandとも違う異様な雰囲気の中試合は始まった。Galatasarayには御存知Hajiがいて、試合開始早々フリーキックを決めたけど、やっぱり往年のきれは無かったかな。途中で交代させられてた。
試合は荒れに荒れて、ペットボトルが雨のように降る中見ていた。1-1で引き分けだが、Galatasarayの優勝だったようだ。

<- これも副産物、無料ベリーダンスショー。


28/Jul/1999(Wed) - 30/Jul/1999(Fri) Karachi:Pakistan

これもVisa待ちの副産物と言えよう。
India Visa発行からすぐにDelhi行きのチケットを手配。最も安いのよりUS$35高いがPIAで行くのが一番早くIndia入りできることを知りそれをとった。ところが、そいつはここKarachiでトランジット、2泊分のベッドと食事が付いて来たのだ。Pakistanは通常トランジットでもVisaが必要なので、ホテルに缶詰めかと思っていた。一応ホテルで出かけてもいいか聞いてみると「問題ない」。パスポートを空港に預けているので問題ないと言うのだ。これ幸いと出かけた。
この街はPakistanでは大都会だが、あまり観光客はこない。皆トランジットする客が1日2日いるだけだ。街にはサイケデリックなミニバスがところせましと走り回り、牛とかも歩いている。Bazarは庶民の日常的なもので活気があって面白く、ついついうろうろ。日が暮れて屋台に明かりがともる頃まで歩いていた。
Asiaに来たんだということを実感できた街だった。India行きの予行演習としては大変よかった。

<- 街中のロータリー交差点。


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