Asia (Part2)


30/Jul/1999(Fri) - 01/Aug/1999(Sun) Delhi:Delhi:India

明るいうちにDelhiに到着。エアポートバスに乗ってNew Delhi駅へ。ここではバックパッカーがたまるMain Bazarに宿をとる。モスクの一部にあるその部屋は、コンクリートむき出しの壁、天井、床。ベッドが一つあるだけでシャワー共同。シーツも湿った感じがして、天井には大きなファンがまわっている。蒸し暑くて夜には蚊が飛び回る。表では雨でぬかるんだ道を人、牛、リキシャ、車が所狭しと行き交う。土産物屋に気をとられると牛の糞を踏んずけたりする。
一泊80Rs(約230円)。こんな状況に身を置くことがおかしくて愉快だったりする。
エアポートから宿を探してチェックインするまで、いろんな奴が声をかけてきた。第二のあこがれの地、Indiaまでやってきた。

<- Main Bazarの雑踏。


02/Aug/1999(Mon) Jaipul:Rajasthan:India

Delhiから夜行寝台に乗ってJaipulへ行く時の話。
同じコンパートメントには学生の男(A)とアクセサリを扱うビジネスマン(B)と英語のまったくしゃべれない男(C)。AとBは英語が話せるのでいろいろ聞いてくる。Cは退屈そうにこっちを見ているだけだ。
話しが一段落して、Aが新聞を読みはじめた。U.S.A.の圧力についてブツブツ言っている。
A:「連中は我々の核兵器を恐れているのだ。」
日本人としてはそりゃ〜当然だという話をすると、
A:「50年も前の話をするな。」
B:「これからIndiaは強くなるぞ。」
そういって拳を見せてニッコリ笑った。
インテリの部類に入ると思われるIndia人の極一市民の生の声に驚きを隠せずにはいられなかった。

<- 左からBとAとC。


03/Aug/1999(Tue) - 05/Aug/1999(Thu) Agra:Uttar Pradesh:India

郊外にあるFatehpur SikriのJama Masjidでの話し。
雨期といいつつもちっとも降らないと思っていたらとうとう強烈な雨が降ってきた。 回廊に腰を下ろして止むのを待つ。広場では子供が服を脱いで水遊び状態。
子供が寄ってきて2Rsのお菓子を買わないかと言う。いらないとか言うと、ペンをくれないかと言う。最初は素っ気ない応対をしていたが、雨は長引きそうなので付き合うことに。彼女の名前はVanabdiと言った。6歳くらいだろうか。
V:「ペンくれない?」
T:「30Rsで売ってやる。」
V:「その帽子ちょうだい?」
T:「これは500Rsだ。」
彼女にとっては500などという英語は普段必要ないもので、理解できていないようだった。おそらく10まで知っていれば十分なのだろう。 遊んでもらったお礼に、紙の切れ端で鶴を折ってやった。このころになると大分子供が集まってきていた。他の子供も俺にも、私にも作ってくれとうるさい。三つくらい折った頃には大人も含めて20人くらいの人だかりになってしまった。警備員が日本人がIndia人に囲まれて困っている、と勘違いして人払いにきてしまったり。
Vanabdiは鶴を見てとてもうれしそうにしている。 なんだかんだ言っても子供だなとか思っていると、Vanabdiが俺の顔を見上げてこう言った。
「Toshi、これを2Rsで売ればいいのよ。」

<- あ〜、もし俺がお金持ちだったらVanabdiに何でも買ってあげられるのに...。


05/Aug/1999(Thu) - 07/Aug/1999(Sat) Khajuraho:Madhya Pradesh:India

少々退屈気味だったので、お土産屋と遊ぶことに。
屋台のお土産屋でキーホルダを買う。当初50Rsと言っていたが、俺の見立てでは20Rsが無難なせんだろう。約1時間の交渉の末25Rsで手を打った。
ここで内緒にしてやるから、本当の値段を教えろ、と言ってみたがなかなか白状しない。そんなやりとりを道端に座り込んでしていると、別のお土産屋のオーナーだと言う男が声をかけてきた。 こいつはおかしな奴で何でも正直に話してくれる(多分)。そいつの話によると、コストは10Rsで通常販売価格は15Rsだと言う。しかしそれはオーナーであるそいつが売った場合。俺が買った屋台の連中はただの遣いっ走り。連中は給料を貰っていて、15Rsで売っても得にも損にもならないそうだ。連中は客からボッた分はそのまま懐に入れることができる。つまり連中から買う場合は20Rsが無難なせんだろうと言う。India人ビジネスおそるべし。そんな話をしながらチャイを御馳走になったり、ヒンドゥーのお寺のお祈りの時間に連れて行ってもらったりよくしてもらった。
India人のいいやつに巡り会うのは大変だ...。

<- 正直者のお土産屋のオーナー。


08/Aug/1999(Sun) - 10/Aug/1999(Tue) Varanasi:Uttar Pradesh:India

もうドミトリに泊まることはないと思っていた。そこまで節約しなくてもと...。
ここVaranasiはヒンドゥー教の聖地で日本人にはBenaresと書いたほうがピンとくるかもしれない。ここでは聖なる川ガンガーで沐浴する人を見たり、日の出を見たり、火葬場を見たりすることくらいしかない。のんびりまったりと川を眺めたかった。
バックパッカーに有名なガンガーに面した安宿があって、そこのテラスからの眺めはすばらしいと聞いていた。夜行電車に乗って早朝に着いた俺は真先にその宿を目指した。が、満室。その宿のテラスから日の出だけ見て他の宿に泊まることにした。翌朝、お目当ての宿に泊まっている日本人から、今日なら空きができると言う情報を入手し、移ることに。
空いたのはドミトリ。ベッドが10くらい並んでいるだろうか。その部屋は日本人ばかりだったが、テラスでは外人も含めて、皆まったりとガンガーを眺めている。観光ボートが行き交い、子供やバッファローの死体が流れてきたり。その上にカラスがとまって突いていたりする。あいにくの天気で結局日の出らしい日の出が見れたのはVaranasiに到着した朝のみだったが十分にまったりした。
ドミトリ一泊35Rs(約100円)。もうこれ以上安い宿に泊まることはないだろう...。

<- ガンガーの沐浴風景。


10/Aug/1999(Tue) - 12/Aug/1999(Thu) Buddha Gaya:Bihar:India

正確に言うとVaranasiから電車でGayaに着いたのが夜遅く、Buddha Gaya行きのバスが終わっていたためGayaに一泊して、翌朝バスでBuddha Gaya入りした。
客引きについて行ってあっさり宿を決めた。部屋に荷物を置いて早速観光。狭いところなので一日あれば十分だ。観光を終えて宿に戻ったが、客引きの嘘が度を越していたため、宿を変更することに。翌日の早朝に乗るツーリストバスの発着場所のそばに宿をとったつもりだったのだが、チケットを手配したところ客引きの言ったことはまったくのデタラメだったのだ。多少喧嘩腰で文句を言って一銭も払わずに宿を出た。が、雨がまた降ってきた。適当な店に入ってチャイをすすりながら雨宿り。暇そうなじじいや子供と雑談する。雨が降ってくるとだいたいそんなことをしている。そのうちに雨はだいたい止んでしまう。そんな時間が結構好きだった。
じじいがしきりにタバコを勧めてくれるので、一本また一本と貰う。自分で持っていないわけではないが、出すにだせない状況だった。じじいが美味しそうに吸って、得意気に俺にくれるタバコはIndia人タバコで十本5Rsくらいのものだった。俺が持っているマルボロライトはここでは超贅沢品で二十本60Rs。
じじいの嬉しそうな顔を見ていると、それを出して吸う気にはなれなかった...。

<- 二軒目の宿のオーナーの孫とじじい。チャパティを御馳走になった。


12/Aug/1999(Thu) - 13/Aug/1999(Fri) Raxaul:Bihar:India

国境越えの話しでも...。
早朝にBuddha Gayaを出てPatnaでバスを乗り換え、Nepalとの国境の街Raxaulについたのは18:30くらいだった。そのまま国境を越えて夜行バスに乗れれば翌朝にはPokharaに到着できるつもりだった。しかし、停電で真っ暗になったIndia側のイミグレーションのおやじが言うには、19:00でNepal側のイミグレーションが閉るので今日はもうダメだと言う。時計は18:45でまだ間に合うじゃないかと言うと、時差が15分あるからもうダメだと言う。ごもっともです。仕方なくそこに宿をとる。
翌朝一番で国境越え。まずIndia側イミグレーションで出国手続き。そこから少し歩くと税関があって、形ばかりの質問があってほとんど素通り。で、歩いて国境を越える。「Welcome to Nepal」の看板が見える。が、 どこが国境かよく分からないままNepal側イミグレーション。ここで写真一枚とUS$30を払ってVISAを発行してもらい、入国手続き。そこから少し歩くとNepal側税関があってここもほとんど素通り。晴れてNepal入国。小さな銀行があって、両替えできるようになっている。俺は多少Nepalルピーを持っていたのでそこでは両替えしないで素通り。
そんな感じでした。

<- India側のイミグレーション。


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