East End


13/Aug/1999(Fri) - 16/Aug/1999(Mon) Pokhara:Nepal

Tibet人の行商のおばちゃんと物々交換。
カバンの奥底に眠っていたフリース、トレーナー、手袋、乾電池を持って表に。ここらはリュックにアクセサリ等のお土産をつめて行商しているTibet人のおばちゃんが多い。道端でそれをひろげている。適当なおばちゃんの横に座り込む。
適当なものを指差して交渉開始。まず値段を聞くと500NRsというが、俺の見立てでは50NRsがいいとこ。といっても俺はどのみち捨てて荷物を軽くしようと思っているので何でもいいといえば何でもいいのだが、それじゃつまらない。交換を申し出ると「何持ってんだ?」と興味を示してきた。日本製の物はなんでも品質が良いと思われていて結構喜ばれる。おばちゃんはフリースと乾電池と手袋を子供のために欲しいと言ったが、俺のフリースはMade in U.S.A.だった。しかしおばちゃんはそんな細かいところまでチェックしない。日本人が持っていれば日本製だと思っているようだ。アクセサリひとつとそれらを取り替えてやると言うが、どれかひとつにしてくれと言うと、これもこれも付けるからと言っていろいろ出してくれる。このおばちゃんよっぽど欲しいらしく、ひとつまたひとつと増やしていく。でも俺ははじめのひとつしか気に入っていなかったので、そんなのいらないと突き放す。とうとうおばちゃんは好きなの選べと全てをひろげた。が、やっぱり俺は気に入ったのが見つけられなかった。おばちゃんはしぶしぶフリースを選んで物々交換成立。
日本で買った3000円のフリースで、3年間(特に今年)着込んだボロボロのフリースはアクセサリに変わった。

<- Pokharaの子供達の登校風景。


16/Aug/1999(Mon) - 19/Aug/1999(Thu) Kathmandu:Nepal

Durbar Squareのインチキガイドと嘘つき合戦。
Durbar SquareのMaju Devalの上に座り込んで一服していると、Nepal人の学生だという若者が話し掛けてきた。ひとしきり話がおわると「どこどこは行ったか、まだなら案内してやる」と言ってきた。なんだこいつガイドか。この手の奴は親切そうにいろいろ案内してくれて別れるときにお金を要求してくる。俺は気付いていないふりをして案内してもらうことに。50NRsくらいなら払ってもいいと思っていた。
Durbar Square周辺の見所を1時間くらい案内してもらっただろうか。さてお別れのとき。案の定奴は150NRsを要求してきた。そんなの払えないと言って歩き出すと、卑怯者呼ばわりされた。「ガイドは俺の仕事だから払ってもらわないと困る。」と言ってきたので「俺は日本語の先生をしている。お前には日本語を教えてやったから200NRs払え」と。
奴は捨て台詞を吐いたものの、意外にあっさりと去っていった。お〜い、50NRsなら払う気あるぞ〜...。

<- 案内して貰ったDurbar Square。


19/Aug/1999(Thu) - 20/Aug/1999(Fri) Nagarkot:Nepal

OH, HIMALAYA MOUNTAINS.
朝一番でKathmanduの宿に荷物を預けて出かけ、Bhaktapurの古い町並みを見た後、Nagarkotへ行った。ここは標高2100mでヒマラヤの展望台と言われている。が、雨期のため空には雲が...。
まあそんなのは覚悟の上。Pokharaでも結局よく見れなかった。ただ、運が良ければ日の出頃のまだ雲が上にあがらない時間に見える日があるとのことだった。見晴しのいい部屋をとって朝にそなえる。夜は結構冷え込むうえ、水シャワーしか出ないので体はすっかり冷えてしまった。Pokharaのおばちゃんが唯一興味を示さなかったトレーナーを着込んでしのぐ。おばちゃんありがとう。
さて朝だ。5:30頃起きて窓から外を見ると空は真っ白け。う〜ダメか...。うとうとしながら見ていると6:00頃突然雲の切れ間からヒマラヤが姿を現わした。テラスに出て30分くらい見入っていただろうか。再びヒマラヤは雲に隠れてしまった。
満喫したとは言い難いが、「乾期にもう一度来なければ」と思わせるには十分だった。

<- なんか全然写ってないや。ちぇ...。


20/Aug/1999(Fri) - 21/Aug/1999(Sat) Kathmandu:Nepal

刺繍屋のおやじと小憎。
たまたま路地裏で見付けた刺繍屋のおやじと仲良くなった。小さな店でこのおやじ客引きをするわけでもなくボケーっとただ座っていた。俺はそこで二枚のTシャツを作った。気に入った色のTシャツがなかったので、他の店に行って180NRsと言われた無地のTシャツを買ってきたらそれに刺繍してくれるかと聞くと、俺なら90NRsで同じTシャツを手に入れてやると言って、刺繍込みで一枚200NRsで作ってくれると言う。
そこの小憎と一緒にTシャツの問屋のようなところに行って色を選んで帰ってきた。その後小憎だけがその選んだTシャツを買いに行った。こうすることで真っ当な値段で買うことができると言う。この小憎英語がわからないせいもあってか、まったく不愛想でニコリともしない。おやじの子供かと思っていたら、「俺の子供はもっと小さくて、もっとカッコイイ」とか。
Tシャツができて受け取った後も暇ができると遊びに行ってチャイを御馳走になりながら話し込んだり。時々おやじは「もう一枚作らねーか?」と言うが、決していやらしいものではなかった。
Kathmandu最後の日の朝、おやじにお別れを言いに行くと、「もう一枚作りに来たのか?」と言う。首を振りながら「今日で最後だからお別れに来たんだ。」と言って小憎にいよいよ不要になったトレーナーをあげた。小憎はやっぱりニコリともせずそそくさとそれをしまいこんだ。

<- 刺繍屋のおやじと小憎。


21/Aug/1999(Sat) - 23/Aug/1999(Mon) Calcutta:West Bengal:India

Culcutta無事着陸。
時間の都合もあってAsiaに来てから飛行機をよく使っているが、ここらでは着陸と同時に席を立って出口に向かって歩き出すのが一般的のように見える。飛行機が止まってドアが開くとジリジリとつめていき、後ろの人に押されることもよくある。日本の通勤電車なんかもそうだよな〜。
俺の少し前にいた欧米人がぶちきれていた。後ろのIndia人に押されたのが気に入らなかったらしい。「押すんじゃない!」。後ろのIndia人は英語が分からないようでキョトンとしている。なんでこいつは怒っているんだといった顔だ。欧米人は「お先にどうぞ!!!」とオーバーアクションを交えて皮肉たっぷりに言っていたが、そのIndia人にとってはなんら失礼なことをしたという意識はないのだろう。
Indiaではこのようにぶちきれている欧米人を結構見た。

<- Indiaのタクシー。


23/Aug/1999(Mon) - 29/Aug/1999(Sun) Bangkok:Thailand

おいおいそんなにか...。
IndiaではよくNepal人かと聞かれた。NepalではよくTibet人かと聞かれた。なんとここではとうとうThai人扱いだ。
Vimanmek Mansion Palaceに行った。ここではガイドが案内してくれるのだが、入口で言われたのはおそらくこんな内容のことだったのだと思われる。「次のツアーは英語だ。Thai語のツアーは20分後だ。」。
お土産屋に入ると、気持ち悪いくらいに店員が無関心だ。いろいろ見ているとしばらくして何人かと聞かれ、日本人だと答えた。Thai人かと思ったと店員二人に大笑いされた。それからあれこれとお土産を勧めだしたのでうっとうしくなった。
帰国にむかって少しは洋服を買おうとデパートに行った。店員は当然のようにThai語でいろいろ勧めてくれるが馬の耳に念仏状態。試着してもいいかと英語で聞くと、あわてて英語の少し話せる店員を呼びに行った。
観光地とは離れたところをあるいていてコンビニでアイスクリームを買った。店員は値段を言ってくれたようだが、Thai語なのでまったくわからない。わからないことを目でうったえると、耳が聞こえないのかと耳を指差す。英語で「Thai語はわからない」と言うと、少し驚いたようだった。
Thai人ではないことをあかしたときの反応が面白くて、楽しんでいた部分もあったかもしれない。Thai人のみなさん、ごめんなさい。

<- Vimanmek Mansion Palaceの下駄箱はすんごい臭いがした。


30/Aug/1999(Mon) - 01/Sep/1999(Wed) Kobe:Hyogo:Japan

ゴトン。
着陸の衝撃で目を覚ました。Bangkok 8/29 22:45発のNH952便に乗り、新聞を読みあさって寝付いたのは日本時間の4:30くらいだったろうか。8/30 6:45日本到着。関西空港を上から眺めるのを楽しみにしていたが、すっかり爆睡して見れなかった。なにはともあれ昨年10/10以来の日本だ。
1年ぶりに会う姪っ子、半年ぶりに会うVancouverでの友人、3ヶ月ぶりに会うMoroccoでの友人達。ひとつひとつの再会がこの11ヶ月弱にあったいろいろなことを思い出させる。
日本といえど不馴れな関西だが、すべてが日本語ですむので楽ちんだし、まわりで話している内容がすべて理解できるのが不思議でもある。電車の中で人間観察。友人達とほっけや肉じゃがをつつきながら人間観察。三角広場に座り込んでたこやきをつつきながら人間観察。日本人もなかなか面白いものだ...。

<- こてこてな写真。


01/Sep/1999(Wed) - .......... Yokohama:Kanagawa:Japan

THE END.
お寿司の駅弁とお茶、雑誌を買い込んで新大阪駅から新幹線ひかり号に乗込んだ。新横浜駅に着いたのが14:00前くらいだった。自宅最寄りの駅前には新しく駅ビルが建っていたりしているものの見慣れた風景だ。Backpackを背負って帰宅。留守中俺の部屋は神戸に住む兄貴が出張にくると使っていたということで、綺麗にかたずいていて、テーブルの上には俺が送りつけた荷物や、留守中に届いた郵便物が積まれていた。
この11ヶ月弱で一つ歳をとり、髪の毛は伸び、真っ黒に日焼けし、12kg体重が減った。小学校6年からずっと寝ているこの部屋、このベッドにまた戻ってきた。
ただいま...。

<- あっ、きったねーくつ...。


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